福岡県民、トリ好きのルーツは江戸時代にあり?!

鶏文化のルーツ
福岡県は、鶏肉の消費量全国トップクラス!さらにいうなら、鳥料理店の店舗数(人口10万人当たりの鳥料理店・焼鳥店の合計店件数)も日本一!なぜ、福岡県はこんなにもトリ好きなのか、そのルーツについて福岡の鶏文化にくわしい日本経済大学の竹川先生におききしました。

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竹川先生
鶏肉を日常的によく食べるようになったきっかけは、近世以降、戦国期~江戸期にかけての博多や長崎などを窓口とした海外貿易を通じて、南蛮文化、南蛮渡来の文物・海外情報の伝播・普及の影響が大きいと思われます。
そして外来種の導入による採卵用家禽や闘鶏用鶏の品種改良が進み、これまでの鶏肉や鶏卵の忌避観念が薄らいできました。また江戸中後期になると城下町に定住した武士層の狩猟・野鳥補食の減少の影響で、鶏肉の需要も増したと考えられます。

3 代将軍徳川家光や8代将軍吉宗など幕府や、御三家で副将軍光園の水戸藩、名古屋の尾張藩、仙台藩など諸藩での養鶏奨励策による養鶏業者や養鶏農家の増加も見受けられます。南蛮文化(料理)の影響を受けた鶏肉料理も、江戸期の料理書・料理本の出版プームによって普及。江戸初期の「料理物語」では「汁、煎り鶏、さしみ、飯」など鶏肉の調理例が紹介されています。

江戸期の福岡は、福岡藩・黒田氏の時代に、博多や長崎・対馬を通じた海外貿易、長崎街道の整備、長崎警備など、独自の異国文化情報ルートが聞けており、「鶏卵素麺(玉子素麺)」ゃ「かすていら」 など鶏卵を用いた南蛮菓子も早くから伝わっています。
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福岡は大陸と近いことから、古来より中国で食べられていた鶏料理が日本に入ってきたことと、江戸時代に貿易の窓口だった長崎の警護にあたるために派遣されていた人たちからも鶏の情報が入ってきたこと、そして、黒田藩が藩の財源のため養鶏を積極的に推奨していたこと。

福岡県民のトリ好きの秘密は、300年以上も前にさかのぼるとは! 壮大なロマンを感じますね!!

 

© はかた一番どり

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